2006-11-07 22:38:43
自殺について [ ブログ ]
大学三年生の時、刑法のテストで「自殺は罪か」みたいな一行問題が出たことがあった。
もちろん、日本の刑法で自殺は罪ではない。それは、そもそも実行者が死んでしまうから罰が与えられない、という意味ではない。何故なら、自殺未遂も無罪だからだ。
一方で、自殺幇助や自殺教唆は犯罪となる。どう考えてみても、矛盾している気がする。
キリスト教は自殺を禁止している。日本では昔からそういった規定はない。
プラトンは『パイドン』で、「自殺は罪だ。人間は神の手の平で遊ばれるおもちゃである。おもちゃが自分で命を絶つことは神に背くことになる」というようなことをソクラテスに語らせていた気がする。(ちなみに、僕はソクラテスの言葉を根拠として、「自殺は有罪である」という結論を導き、見事冒頭の刑法の試験に落ちた。)
ショーペンハウアーは、『自殺について』で、「自殺は罪ではない」と書いているらしい。
これについては、ちゃんと読んだことがないのでいつか読みたいと思う。
デュルケムの『自殺論』も、あまりに字がちっちゃいので途中で辞めてしまった。
やはり、必読の書物であろうから、これもまたそのうち読もう。何年後かは分からないが…
生命決定権は、最大の自己決定権だから、生きる死ぬの自由は与えられているのであり、自分の命をどう処分しようと罪になるはずがない、という意見。
それに対して、自分が生きているのは自分だけのことではない。今まで生きてきたのは自分だけの力だけではなく、自分が死ぬことは他者を不幸にすることになる、という意見。
どちらも最もだと思う。要は、どちらの「人生観」が好きかという好みの問題のような気はする。
ちなみに、僕は後者である。「素晴らしき哉、人生」を見て自分の人生がいかに他者に影響しているかを感じて欲しいと思ったりする。
法学でも、社会学でも、教育学でも何でも良いが、
「自殺の是非を考える会」なんて楽しそうだ。
僕は、「死」というものを考える時が一番「生」なのではないかといつも思っている。
不謹慎かも知れないが、最近のいじめ報道、そして本日の「自殺予告」という報道を聞いて、
こんなことを思った。
池田晶子は、「死は言葉だ」と言い切った。
この世は不思議なことばかりだ。