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2006-11-09 23:31:45

『沈黙』 [ ブログ ]

遠藤周作 1981年 新潮文庫

「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました。」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」


小説を読むことは僕にとって贅沢なことだ。
仕事を終えて、寝るまで。少しでもページをめくる。
学生時代からいつか読もうと思っていた「沈黙」をついに読み終えた。

江戸時代、島原の乱以後 禁教策を強めた幕府。そこへ、師フェレイラを追ってポルトガルから来た宣教師、ロドリゴの話である。

基督を信じて、はるばる日本にきた宣教師達。挫折と苦悩。殉教か、棄教か。究極の選択。
本当の基督愛とは何だろうか。
転ぶことで命が助かるなら、それは基督愛なのだろうか。弱さを基督のせいにしているだけか。
それとも、息絶えることを選択すべきなのか。信念に殉じて、結局何が変わるのか。

日本に基督教を広め、人々を救おうとした宣教師達。
しかし、その結果は人々を苦しめるだけだった、と井上筑後守はロドリゴに迫る。

「神は存在するのか。存在するのであれば、何故沈黙しているのか。」
ロドリゴの苦悩はここに集約される。基督教の根源に対する問いである。


基督教が民主主義や平等概念の根拠となった、と小室直樹博士は言い切った。
日本にとってのそれは、「天皇」であったとも。
もしも、戦後に、天皇に対する「踏絵」があったなら、日本はどうなっていたのだろうか。


僕らは何を信じて生きているのだろうか。信じるということの意味すら分からずに。

Posted by JPAK at 2006-11-09 23:31:45 | コメント(2) | Trackback(0)