2006-11-20 22:56:23
命の使い方 [ ブログ ]
昨日平田さんと喋っていたことに、早稲田の気風というものがあった。
単位が取れるとかよりも、自分で考え何か活動しているような学生を自然と敬うような
気風が早稲田にはある、と。要するに、主体性を持った者を尊重し、自由を与える学校だということであると思われる。
京都大学もその点は一緒だ。特に法学部は。六法の授業は質が良いらしいが、本を読んで独学が出来ない法律科目は少ない。政治科目だってほとんどそうだ。
数は少ないが、もちろん面白い授業もあったし、授業にしっかり出ている人は凄いなあと、皮肉なしに思っていた。それでも僕は授業に出たくなかったし、本当にくだらない(話が面白くない)授業ばかりだといつも思っていた。(ゼミやゼミの教授の授業はけっこう楽しかったが)
毎日毎日自由な時間が腐るほどあった。本も読める、サークルもバイトも出来る。金さえあれば旅行も行き放題。オモロイことやってる人もいたし、物凄く専門分野に通じた人も多かった。
悪く言えばほったらかしだが、その「自由」をどう生かすか、が勝負なんだと、僕は高校時代から思っていたし、先生にも言われていた。
「自分で考え、自分で動き、自分を高める」ということ。
「大学生」の「大」という漢字を分解すると、「一人」になる。
「一人で学び、生きる」これが大学生なのだと思った。
と、ここで現在の社会人生活である。
平日は6時起き。仕事は9時から20時まで。通勤は一時間。なかなか活動しようと思っても出来ない。
しかもこの時間はサラリーマンという立場の中では楽な方だと言われる。
この国はオカシイんじゃないかと思う。なんでこんなにも働けるんだろう。
誤解を恐れずに言えば、「仕事」は大学等の「授業」と同じで、その大部分が「受動的」である。もちろんその中で「考えながら」仕事をしないといけないのは百も承知だが、僕はまだそこまで行っていない。そして一日しっかりと働いた日の夜、日記に書くことがなかったりする。
「思考が停止している」のだ。
最近、平日の僕の日記が面白くないことが多いのは、ここに原因がある。
(面白いよ、と言ってもらえれば嬉しいが)
僕は、「完全週休二日制、労働は平均18時まで、有休は月一回確実に取る。夏休み、冬休み、春休みは一週間ずつ。」それくらいで良いと思うし、そうしないといけないと思う。
平日の夜、休日、まとまった休み、それぞれの「時間」を生かして、人と触れ合い、家族を労わり、自己を高める。そんな日本にしたいと思ったりする。
きっと、みんな「自由」が怖いんだと思う。時間が増えたって、特にやることもない。
そんな人が多いのかな、と思う。でも、そこはほんのちょっとのきっかけで変わるだろうし、変わらないといけない。
「時間をどう使うか」とはすなわち「自分の命をどう生きるか」ということに他ならない。
誰だって命の砂時計が流れ続けていることは知っている。だけど忘れている。
僕らはどこまでも「自由」であることを忘れている。「自由」とは「自己に由る」すべて自分で考え、その結果を、良いことも悪いこともすべて自分に帰するということである。「慣習」「常識」に自らを従わせ、思考停止したまま命をすり減らすことだけはやめよう。
考えることは同時に苦しいことでもある。命を使うと自覚することは死を目前に見据えて生きるという拷問以外の何者でもない。だけど考えて、動こう。
論理的組み立てを考えずに書きなぐってしまうことは、最近はあまりなかったのだが、何だか今日は書きたくなった。色んな人がいる。恐ろしいほどの可能性が備わっている。
今夜は、何だかそんな良い気分。